言い訳などあるはずもなく粗く呼吸をする俺。情けないというかなんというか、まあ情けない。
 「提督、大丈夫なの?」
 「大丈夫」
 優しいお姉さんが水を持ってきてくれた。飲み干して一息つくと何故自分がここまで焦っていたのか分からなくなる――悪いことなどしていないというのに、全く。気を取り直して矢の話を聞きに来たことを告げると、陸奥は快く情報を書き並べてくれた。
 「目撃者が陸奥で助かった」
 「あらあら、褒めても何も出ないわよ?」
 事態が大事にならずに済んでいるのは彼女の対応のお陰だろう。あとはこれを上に報告さえしてしまえばなんということはない。何の恨みも買っていないというのに何かに巻き込まれたなんてことはないはずだ。
 「そうね。それともう一つ相談したい事があるのよ、提督……最近、初春ちゃんの様子が変なときがあって」
 初春が?
 「そうなの。あの子おとなしいから、まだ提督になにも言ってないんじゃないかしら、と思って……心配どおりだったみたいね。落ち着かないことがあるみたいなの。本人は『嫌な感じがする』って言ってたわよ……提督、ねえ、聞いてる?ちゃんと初春ちゃんに聞いてあげなきゃだめよ?」
 聞いていたさ。陸奥の話はしっかりと聞いていたのだが、今日あまりに色々と良くないことが起きているせいでそれらと関係があるのではないかと思ってしまうのだ。そのせいで陸奥への返事が少し遅れてしまったようだ。杞憂であってほしい。悪い話を聞いたのがたまたま今日だっただけなのだ。今まであまりに順調にいっていたからその反動なのだろう。
 「ありがとう、陸奥。出撃中のことは俺には分からないからな……教えてくれて助かった」
 「あら、当然よ。今度の作戦に向けての訓練や準備でみんな精一杯じゃない?私ならまだ少しだけ余裕があるから、そのお陰で偶然気づけたんだと思うわ」
 この鎮守府に最初に着任してくれた戦艦が陸奥だった。初めは慣れない俺の無茶にもつきあわせてしまったし、戦力が足りない時にすぐに彼女に頼って困らせてしまったこともあった。他の艦娘たちの錬度を上げるための出撃でも、ここの戦艦が少なかったときはいつもついて行ってくれた。来るのが少し後だった瑞鳳だって彼女に何度守られたか分からない。何度、旗艦が致命的な損傷を受ける代わりに敵の攻撃から旗艦を庇った陸奥が傷だらけで帰還したことか――彼女がいなければ今の艦隊はなかったと言って差し支えない。ただそんな陸奥の心の中に理想としてあるのは長門であるようで、この鎮守府にはまだ来ていない長門の背中を、彼女の記憶の中にいる長門の大きすぎる背中を、陸奥はずっと追いかけているようだった。
 「そうか……じゃあ、いつもありがとう、陸奥」
 「ふふ。お礼は長門姉でいいわよ」
 いつものように笑ってくれる陸奥。何度このやり取りをしたかもう分からないが、にも関わらず俺はいつになっても長門を迎えることができずにいる。なんと無能なのか。もし今長門を迎えたところで錬度の差があまりにも大きいから、しばらくは一緒に出撃することは難しいのだろうけれど。
 「長門を連れてこられなくて、ごめんな」
 そう言うと、陸奥は「いつまででも待っていられるわ」と廊下まで見送ってくれた。
 「そのまま初春のところへ行ってくるよ」
 「ええ。そうしてあげて」
 扉を閉めようとして振り返った時、整頓されていながらも殺風景な部屋の、その隅にある小さな棚の上に飾られている戦艦長門の写真を視界に映した俺の目が、初春の部屋へ向かっている途中、誰もいない廊下で静かに涙で濡れていたのが分かった――今日は、少し疲れているようだ。


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