それから彼から再び音信を得るまで、我々に待っていたのは意外にも「平穏すぎる」日々だった。本当に何もなかった。大規模な作戦もなかった。どちらかといえば休息期間に近かったかもしれない。ああ、お返しとやらを司令官に貰ったのはこの月のことだったな。今度は本丸の方で作戦があったそうで、そのために司令官は鎮守府を空けがちになった。こちらの大規模作戦の時は普段以上にこちらにいてくれたから留守に文句はないさ。だが司令官がいないということは三日月宗近もこちらにはいないということで、それは不都合なことが何もない日常の証でもあった。
 駆逐艦たちは三日月宗近がいないことに退屈さを感じていたようだ。彼女たちが「提督は次にいつ帰るだろう」と、司令官と共に現れる彼の姿を待っている様はとても微笑ましい。そんな待ちに待たれた彼の「帰投」が果たされたのは、来る三月の末のことだった。彼は自由に行動できないことを見越してか、秘書艦の瑞鳳を通して私と陸奥に連絡を寄越してきた――初春についてのことだ。霊的なことに詳しい刀剣が帰ってきたら話を聞くと言っていたから、その彼が本丸に帰って来たのだろうな。
 その「霊的なことに詳しい刀剣」は名を石切丸というらしい。「本丸の外から帰って来たばかりで普段との気の違いを明確には形容できないものの、刀のものではない、知らないものを感じるのは確か」だと石切丸は三日月宗近に説明したのだそうだ。それはつまり我々艦娘のことなのだろうか。石切丸が「知らないもの」と形容した以上は、それを断定することはできないのだろう。これを初春に伝えれば、彼女ならさらに明確な感覚を伝えてくれる可能性があった。だがこの言葉を初春にどのように求めれば良いだろう、私には分からなかった。私や陸奥、瑞鳳が三日月宗近と連絡をもっていることは初春に伝えるべきではない。どのような言葉でこの詳細を問うべきか。
 その夜陸奥の元を訪れたのだが、彼女も同じ理由で初春に問えずじまいだったようだ。これは最早仕方がないだろう――ただ状況を判断して陸奥は、「初春は三日月宗近や刀剣の纏う空気に反応しているわけではないんじゃないかしら」と言った。それならば司令官がここと本丸を行き来しはじめた時点で初春は異変を感じたはずだということだ。一理ある。それに初春は三日月宗近と一度か二度くらいは会っているから、もし彼がその原因なら初春は心配などしないはず。
 私と陸奥は「本丸の方も同様だろう」と結論を出した。つまり石切丸が感じているのは我々の気配ではなく、やはり別の何かなのだろう。三日月宗近の話を含めて考えるならば……それが何なのかまで凡その察しがついてしまう。心配することはないと声をかけるのはいくらなんでも相応しくない。そう判断した我々は初春に何も伝えなかった。
 そのまま、そう、何一つ状況は変わらぬまま。初春も違和感に慣れすぎて、何も言わなくなった頃だ。このまま何事もなく時間が進み続ければいいと、心の何処かで私が願い始めた頃のこと。何事もなく終わるはずがないだろうと私を叱咤するように、その日は容赦なく我々の元にも訪れた。
 四月の五日。
 晴れやかな日だった。どうしようもなく天気の良い一日で、悲しいほど澄み渡った空の下で時間が流れた。私はこの日が我々にとって重大な転換点になるなどとは微塵も考えず、普段通りに演習と駆逐艦たちの訓練の監督を終えた。その奇跡のような空は夜になると曇りのない満月を闇に吊るし、これから波打ち際に溜まる不浄の気配を認めていなかった――良い夜になると私は思った。そうでなければ嘘だと思った。もしこの夜にさえ不安が巣食うのならば、私たちにとって穏やかな夜など永遠に訪れぬものだと、そう囁かれているようにすら思わせられた夜だった。
 だが油断していたからこそだったのだろうか。それは唐突に、しかし我々の気の緩みを予め察していたかのように狡猾に現れた。私は窓を開け放ち、潮風を鼻腔に感じながら休んでいた。きっと司令室でもそうだったに違いない。冬に比べて暖かくなってきた室内は時に暑さを感じさせるほどに強烈に春を主張していた。外の桜の香りも甘く、鮮やかに、夏が実は目前に迫っていることを知らせていた。これほどの空気を全身に浴びたいと思わない者はいないだろうとまで私は思った。そんな日和だった。私が深く息を吸いそれを満喫していた、ちょうどその時だった。
 今まで一度も使われたことのなかった、非常警戒態勢を知らせる鐘の音がけたたましく屋内を駆け抜けた。それは艦娘たちが過ごす全ての部屋に、廊下に、即時戦闘準備をすることを求めて叫んでいた。どの艦娘たちも部屋から駆け出し、緊急時にはつくように定められている持ち場へとそれぞれ急いだ。私にとってその場所は他ならぬ司令室であったから、やはり躊躇うことなくそこまで駆けたさ。
 私は扉を開けた。状況を知らされるべく司令官の姿を探したが、その隣には今にも艦載機を放たんとする瑞鳳の後ろ姿。私は油断していた。まさか、司令室で直接司令官が襲撃を受けるなんて思ってもいなかったんだ。ぎらりと私の視界を光が刺したと思うと――そこには刀を握る三日月宗近の姿と、その手の刀に両断され転がって赤く濡れたように鈍く影を落とす何か――今まで見たことのない瞬間的な一撃、それは侵入者を見事、亡き者としていた。


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