===第6話===

 キミたちは夢をみたかもしれない。

 それは途方もなく幸福で、
 そして途方もなく寡黙で、
 どこまでも無限に広がる代わりに、
 どこまでも無限に空虚な自身。

 際限なく欲望を求めて追いかけた先に、
 いったい何があったというのか。
 今となってはそれを思い出すことなどできずに――

 その忌まわしい夢から、キミたちは再び目を覚ました。

 網代木比奈が隠れているとされていた海岸洞窟へ、
 UGNのエージェントらが殺害覚悟で突入すると、
 なんとその洞窟にはただ血液の飛沫だけが残っており、
 肝心の網代木比奈の姿はなかったという。

 調査は振り出しに戻った、かのように思えた。

 しかしキミたちには得たものがあった。
 藤堂家の守る古太刀を網代木が狙っていた理由は、
 アダムへの有効打を古太刀が握っているからではないのか?
 そして、それを扱う者である狭山千紘は
 アダムにとって邪魔な存在なのではないかと。

 あの事件は十数年間に遡る。
 ある日、藤堂湊の様子が妙になったということがあった。
 それはまるで記憶が疎らに抜け落ちたかのようで、
 原因不明だが高熱かなにかの弊害であろうと片付けられた。

 これはあくまでも仮定の話だが。
 もし、アダムがその頃から活動していたとすれば。

 ――これは、あくまでも仮定の話だが。

 キミたちは息抜きのためにいつもの喫茶店へ向かったが、
 あの人のよかったマスターの行方など
 この混乱の中では誰にも分かるはずがなかった。

 世界は終焉を迎えている。

 地表の気温は20度上昇し、
 EXレネゲイドが廃墟と化した街を闊歩している。
 オーヴァードに覚醒し、ジャームに堕ちて
 殺し合い、奪い合い、急激に数を減らしていく人類。
 
 日本支部から離れたかったキミたちが次に足を向けたのは、
 たとえ朽ち果てても忘れることのできない場所、
 温泉の湧くこぽこぽという音だけが響く匂坂村。

 そこでキミたちはなにか呟いている男を見た。
 その姿はアルフレッド・J・コードウェルのように見えたし、
 一瞬で消えた人影はただの幻なのかもしれなかった。

 コードウェル博士もアダムに関わっているのかもしれない。
 いずれにせよ、キミたちが世界を取り戻すには――
 
 「世界を取り戻すって?」

 男の影と入れ違うように、キミたちの耳に囁きが届く。

 「失われてなんていないのに」

 その声は網代木比奈のものであった。
 網代木比奈のものであったが、
 それは同時にアダムであり、
 それは同時にアダムによる福音であり、
 それは同時にアダムによる誘惑となり、
 それは同時にアダムそれ自身となって、
 それは同時にアダムの啓示であるのだから、
 それは同時にアダムを強烈に浸透させて、
 それは同時にアダムを受容することで、
 それは同時にアダムの受容を拒否して、

 キミたちははじめてその姿を目の当たりにした。

 「これは通過儀礼。滅びるのではなく、新しく変わるの。
 だから恐れることはない。だから拒んではいけない」

 アダムがキミたちの前に姿を現したのは、
 計画の完成をアダムが確信したからであり、
 立ちはだかるキミたちをどうにか説得して
 その抵抗の刃を折ろうとしているからでもあった。

 その姿は網代木比奈のものであった。
 網代木比奈のものであったが、
 確かにアダムであるその姿を、
 確かにアダムであると認めて、
 確かにアダムであると認めながら拒んで、

 キミたちは呑まれることなく、アダムに毅然と刃を向けた。
 それはキミたちがキミたちとして生きる意志であった。

 それを察したアダムが薄く微笑む。

 「何故?」

 網代木比奈のものであったアダムの姿が、
 徐々にそれぞれの姿形へと変わっていく。
 その姿はキミたちひとりひとりに別のものに見えた。

 アダムはキミたちを弄ぶように攻撃をしかけた。
 その一つ一つは重いものでありながら、
 アダムはまるで本気を出していないようであった。

 気づいたかもしれない。
 キミたちがまともに戦えない原因の一つが、
 アダムの姿にあることに。
 レネゲイドウイルス自体の活動が休止するような、
 強烈な違和感と不自由を覚えたことに。
 ――「ひとり」に関しては、指一本動かすことにすら
 強烈な集中力と精神力が必要だったことに。

 切り札なのではないかと考えていた古太刀も、
 必死の一撃も、渾身の防御も。
 何一つとしてアダムに効果をなすことはなかった。

 キミたちが疲弊し、いよいよ死を覚悟したとき、
 アダムは不意に攻撃をやめて引き下がった。
 その表情には期待と失意の両方が浮かんでいるようだ。
 やがてキミたちを眺めていたアダムが笑むと、
 いつか砂浜に突き刺さった鋭い光が4本、空から降り注ぐ。 

 「またね」

 そのうちの一条が、藤堂 湊を刺し貫いた。



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