「飛んで火に入る夏の虫、ってこのことね?」
 不気味なほどに甘い声が額に刺さるように響く。俺は三日月宗近の後ろでただ立ち尽くしていることしかできなかった――あまりに顕に放たれる殺気。それに気圧されて声を発することができない。もし息を吸い込むために僅かにでも動こうものなら、体に力を入れた瞬間に喉を掻き切られるような気がした。
 「剣で俺の前に立ちはだかる者がまだいたとはなぁ。はっはっは」
 三日月が一歩進み出て刀を下ろす。剣術には疎いからこの構えが何を意図したものか俺には分からない。ただ、俺の前から大きな影が少し移動したことで、その向こうの姿が僅かに夜の闇に揺れたのが見えた。宙に浮く光の輪。背の丈ほどの小さめの薙刀。いや、小さめというのは俺が岩融を見慣れすぎてしまったせいであろう。
 地面を蹴る軽い音がその影のさらに奥から聞こえてくる。空気が余計に鋭く凍った。
 「龍田、無事か?」
 「あーら天龍ちゃん、遅いわよ?」
 悪い悪い、と笑う低い声。龍田、天龍。俺だ。提督だ……今まで声にできなかった言葉がその笑い声のお陰で微かに零れ落ちた。
 「三日月、剣を、収めてくれ」
 「おいおい。下手な芝居は勘弁しろよな」
 納得してもらえるかと期待したが天龍ブレードまでもをこちらに向けられてしまった。流石に刀身を鞘に収めかねる三日月じじい。何故これが芝居扱いされなければならないんだ、全く笑えない冗談はよしてくれ天龍!
 「そうねぇ。三日月ちゃんは可愛らしいから、そんなに怖くないわよねぇ。天龍ちゃんほどじゃ、ないけれど」
 「最後のは要らねえよ!」
 頼むからこんな状況で漫才はやめてくれ。じじいのことはともかく俺が提督であることは理解してもらえたのだろうか、気づけば二人の近接武器の刃先は地面に下ろされていた。ありがたいことだ。この二人がもし本気で俺を殺しにかかったら名刀じじいといえども俺を守りきれるかどうか。
 「提督。そいつは誰だ?」
 俺への殺意はないにせよ、この二人が異常にぴりぴりしているのは化猫駆除の余韻が消えていないからではなさそうだ。俺がいない間に変な男か本部のうるさ方でも入ったか?いやそうでなくとも鎮守府に提督以外の男が現れれば、艦娘として以前に警戒するのが普通というものだろうか。彼女たちは普通の娘ではない。ただでさえ鈍感な俺に、その複雑であろう心を察することなどできるはずがなかった。
 まずはじじいにかけられている疑惑を解かねばなるまい。
 「敵じゃない。彼は三日月宗近、平安時代の有名な刀の主だ。俺の護衛をしてくれている」
 それから俺の言い方が悪かったのは認める。彼女たちにとっての三日月は睦月型駆逐艦のほうの三日月だろう。誤解を招く表現をして大変申し訳ないことをしたとは思っている、お詫びにじじいが土下座します。
 「俺が土下座?」
 いや、しなくていい。
 気の抜けてのんびりとしたじじいの声が妙に場違いに聞こえた。脱力した両の腕。完全に警戒を解いて普段のマイペースじじいに戻っているようだった。いつの間に刀を収めたのやら、全く気づいていなかった。もしかすると戦場でもこんなふうなのだろうか。最後に戦場に送り出したのがいつなのか正直覚えていないというのが実状だが。
 「なんだ。提督がそいつに人質にされたのかと思ったぜ」
 「違うみたいねえ、天龍ちゃん。知らない人だったから分からなかったわ」
 暗いって怖い。夜戦はさぞかし大変なのであろう。それで、どうして二人はこんなところに?普段なら遠征に出ているか駆逐艦たちの子守りをしているか、或いは二人で濃密な時間を過ごしているかだと思ったんだが。
 「あら提督、覗きは犯罪ですよ?」
 覗かなくても想像くらいつく。
 「そうですか?うふふ」
 「で、何かあったのか?」
 「提督のいない間に、昼間この屋根の上を鏑矢が飛んで行ったり、窓の開いた廊下の壁に矢が刺さっていたりしたんですもの。大騒ぎだったのよ?」
 思っていたより事態が大事で眩暈がした。


スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。