どうしたらそんなに良い香りになるのか教えてほしいと石切丸に頼んだところ彼はただ怪訝な顔をしていた。
 「お茶の淹れ方?歌仙のほうが慣れているだろう?」
 そもそも僕の淹れ方を見て真似してみたんだと言う。だとすると比べていたら話が長くなるだろうから、と、そのことはまた後日ゆっくり話そうじゃないかと彼と約束した。
 本部からかかってきた確認の電話には協力するという旨を伝えた。すると明日の昼には迎えを寄越すと言っていたので、石切丸も準備をしたいからと自分の部屋へと戻っていった――本部の人間も、また随分と性急なことで。
 僕は梅の枝の品定めに庭へ下りてみた。まだ寒くて春の訪れなど信じられないけれど、早咲きの梅は既にこうして花を開かせて、蕾だって膨らんでいる。どこの本丸に石切丸が送られるのかは分からない。でもきっとまだどこも冬の寒さに閉ざされているだろうから、手紙でくらいせめて小さな暖かさを共有して楽しまないとね。
 「むめ一輪 一りんほどの あたゝかさ」
 僕が前の主と在った時代よりはかなり後の、嵐雪という俳人の句だ。この句をしたためた紙をこの梅の枝につけて送ろう。先方の審神者が風流な人ならば、もしかするとこの句に下の句をつけて返事をくれるかもしれないね、ふふ。
 小枝を眺めながら僕が一人満足していると急に視界が暖かいものに覆われて奪われた。これは、人の手、だろう。
 「鶴丸!さっきから何だね君は!」
 「おっと、ばれていたのか。こりゃ驚きだ」
 君以外の誰がこんなことをするっていうんだ。さっきはさっきで石切丸をけしかけたのも鶴丸、君だろう。折角僕が雅に浸っているのに邪魔をするなんて、次は君の首を落としてやるからな。
 「そう怒るなよ歌仙。驚きがないと退屈だぜ?」
 「僕は平穏で雅な生活を送りたいんだ!」
 「分かった分かった……ま、まずはご苦労さんだな。石切丸とおまえがその様子なら、交渉は成功したんだろ」
 怒ろうとしたところに労われて僕は怒るに怒れなくなってしまった。これがわざとなのか偶然なのかは分からない。しかし怒るのも疲れるしもうこれで良い気がする。僕は無言で部屋の奥に戻った。員信の引き出しから丁度良い紙と筆を取り出して墨も磨る。古く神職に就いていた者の末裔だという員信は、決して達筆とは言い難いが、教養の一つとして書道を学んだことがあるのだそうだ。うんうん、上手い下手は勿論だが、そういうところは僕の主として合格だね。
 「歌仙、なに楽しそうな顔してるんだ」
 鶴丸が呆れたような顔で僕を見ていた。別に君に見られるための顔じゃないからね、と言うと素っ気無いねぇと更に呆れられた。知ったことじゃない。鶴丸が近くにいると気が気じゃなくて落ち着いて書くことができないから、正直少し離れてもらいたいね。
 「なんだ?書いているのは恋文か?」
 あまりに予想外の言葉だったので狂った僕の手元は、磨っていた墨を鶴丸の顔のど真ん中に擦り付けてしまった。
 「おっと」
 「……なあ歌仙。わざとだろ!」
 「君がつまらないことを言うからさ」
 鶴丸は大して驚いてもいない顔でいつものように「驚きだね」と笑った。それから邪魔はしないとでも言いたいのか、半畳ほど僕から離れてごろんと横になっている。
 「そうだな。彼には長生きしてもらわないとな」
 「彼って誰のことだい」
 主のことに決まっているだろ、と鶴丸は天井を見ながら答えた。脈絡もなく一体なんのつもりなんだろう。墨を磨り終わった僕は透かしの入った薄桃色の紙を真っ直ぐに敷いて、そこに文字を書き連ねていた。
 「せっかく人の形でここにいるんだぜ?それだけでも十分驚きだが、どうせなら他の驚きも探しに行きたいってもんだ」
 最近、機会がない、た、め――と。
 「俺たちは人間じゃねえからな。主がいないことには呼吸すらまともにできやしない。気の違った主なら話は別だが、あの男なら若干振り回されても許せるってもんだろ?」
 ですので、存分、に――さて、なんて書こうかな。
 「ああ、今育ててる茸、チャ、なんとかタケ」
 チャナメツムタケ。
 「そう、それ。食ってみたいと思わないか?艦娘ってのにも会ってみたいし、あの海の向こうにも、鳥居の外にも、ここにいるだけじゃ分からない驚きが山ほどあるに違いない。行ってみてえな……まずは、主を守れるように、もっと強くなって」
 「……ああ」
 名前まで書き終えて僕は筆を置いた。あとはこの手紙を畳んで、明日の昼に手折った梅の小枝に結わえてやろう。鶴丸の顔はといえば相変わらず墨の付いたみっともない様だったけれど、その目は強く光って彼が確かに本気だと分かる。いつか酒に酔った員信が、「本丸と鎮守府の外じゃ誰が味方かすら分からない」と悲しそうに遠くを見つめていたのを僕は覚えている。
 「そうだね。で、鶴丸。記録帳はもういいのかい」
 返しておいたぞ、と答えて目を閉じると彼は笑った。なにか煮え切らないような、どこか自嘲を含んだような、普段と違う笑い方であるように、僕には見えた。
 「三日月が今月に入って一度も出陣していないということしか分からなかったぜ。おかしいよなあ?……だがもういいさ。苺大福と茶がほしい」
 「自分で用意したらどうだい」
 仕方なく隣に両方を並べてやると彼はぱっと起き上がって妙に行儀良く大福を平らげ、さっきの傷ついたような笑顔で笑っていた。



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