その日から何日も経って、空も庭も磯の向こうの海も春めいて暖かくなり始めた。季節の移り変わりに耳を澄ませていれば日々が過ぎるのがあまりに早い。員信にいつも三日月宗近がついているのは相変わらずだけれど、彼は仕事のほとんどを僕たちに任せてくれるようになった。内番だって見回りが要らないくらいだ。皆も仕事に慣れてくれたから僕も楽になったし、何より員信がのんびりできている。霊力が不十分だなんて思ったこともないよ、でももし何かあったら大変だろう?
 僕の錬度も上がった。鎌倉初期の戦場にだってもう行ける。最近は太刀や大太刀には力じゃ勝てないってのが悔しいかな。でも大丈夫、僕は文系だからね。敵なら槍だって大太刀だって、風流を解さない奴は討ち洩らさないさ。
 そうそう。最近は、僕たちの部屋の雑貨や家具を買い換えたり作り変えたりする余裕があるんだ。員信は全員に希望を聞いて、可能なものから用意してくれる。僕は茶器を一揃え買ってもらった。
 「気に入って、いるんだな」
 今日もそれで茶を点てていたら、いつの間にかそこにいた山姥切国広に声をかけられた。彼があまりに卑屈なんでしばらくは口を利くこともほとんどなかった。それがこの前内番で手合わせして以降印象が変わってね。彼は見た目より遥かに熱い心の持ち主だった。打ちたての鉄の如く燃えているその意思を、自分が写しだからと布で覆って表に出すまいとしているように思えた。そういうのは嫌いじゃない。それに彼も立派な刀なんだから、写しであることを気にする必要はないと思うんだけれど。その事実がかつて、彼か彼の名誉に傷を与えたことがあったのかもしれないね。
 「ああ。とてもね。君も一杯、どうだい?」
 「……茶の作法を知らない。写しの俺じゃあんたの茶の相手は務まらない」
 「構わないさ。作法なら僕が教えればいいだろう」
 暫し迷っているようだった彼に僕は更に手招きした。山姥切国広は断る理由を探していたけれど興味がないわけでもないらしかった。文系の僕が教えるんだから、そんなに心配しなくてもいいのに。
 「期待には応えられんぞ」
 彼はやっと遠慮がちに僕の部屋に入ってきたと思ったら背筋をぴんと正して座った。ただ座っているにしてもやっぱり国広らしい気品があるね。そう思いながら見ていると「なんだ」と居心地悪そうに目を逸らされた。
 「そう硬くなることはないよ」
 余程でない限り僕は怒らないからね。
 「どうしたら、いい」
 「まずは落ち着くといいよ。準備ができたらちゃんと教えるさ」
 彼の肩の力が幾分抜けたので、作法、という一種の形式を教えながら気づいたけれど、やはり山姥切国広には素質が備わっているようだった。所作の一つ一つに上品さを感じ取れる。彼がいつも被っている白い布は丁寧に畳まれて膝の隣に置かれていた。それを外した姿を始めて見たかもしれないな……戦場でも離れないからいつも不思議に思っている。
 「その布、どうなっているんだい」
 「どうなっている、とは、どういうことだ」
 「いつも君から離れないから、何か細工がされているのかと思ってね」
 山姥切国広はきょとんとした顔で「細工なんてないが」と瞬きを繰り返していた。無いなら無いで別に良いんだ。僕ほどではないけれど彼の錬度もかなり高いし、きっと布が邪魔だなんて今更思わないのだろう。 出撃先の戦闘が夜だと分かっていれば僕と山姥切国広は一緒に出撃することも多い。僕の隣にいるのは彼か鶴丸のことがほとんどだ。視界の端でたなびく白が日常になったのはいつからだろう。
 「鶴も雪景色ももう見収めの季節かあ」
 山姥切国広は無言で茶を啜っていた。
 「でもまだ夏は遠いというのに。僕の隣は一年中、春過ぎた天の香具山だね」
 「……分かるように言え」
 それだけ言うと彼は渋い顔をしていた。もしかするとお茶が苦かったのを、話題にかこつけて誤魔化したのだろうか。
 「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天のかぐ山」
 持統天皇の古歌と意味を教えると僕の言いたい事を半分は察してくれたようで、彼は自嘲気味に「悪かったな」と呟いた。
 「違う違う。僕は嫌だなんて一言も」
 「分かった。言わなくていい」
 今度はそっぽを向かれてしまった。別に怒っているわけではないみたいだ。むしろ照れているのかな。僕は彼の感情の機微を読み取るのが得意ではないから、少なくとも間違えていなければいいのだけれど。
 「……小狐丸」
 彼はそのまま、ぼそり、と言葉を続けた。
 「小狐丸の毛並みは白いらしいと主が言っていた。もし奴が来て、あんたがしばらく奴の面倒を見ることになれば、あんたの隣はまた白だな」
 山姥切国広がそっぽを向いたままでそう言うので、僕はつい面白くなって声を出して笑ってしまった。



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