彼は真面目でなければならなかった。真摯でなければならなかったし、誠実でなければならなかった。そうでなければ彼は能力に対して十分な評価を得られなかっただろう。常に自分を偽っているとも言えるし、常に正しく生きているともいえる。そうだ、彼が気を緩めて粗暴な言動をしようものなら、彼がファルスハーツの出身者であるからと陰で囁かれることになる。西園寺亮輔、彼はそれを理解していた。
 ファルスハーツで生まれたということ以外に彼の出自を知らない。いつ頃、どういった経緯でUGNのエージェントになったのかを誰にも話したことがないようだった。ただ彼がファルスハーツの出身であるという噂を信じるのに十分な根拠はある。任務を終えてちらりと彼の表情を伺うと、運が良ければそこに高揚した鋭い眼差しを見ることができるのだ――あれは人類の盾と呼ぶにはあまりにも刺々しい、異質で荒んだものだ。手負いの獣が猟師を呪う、切迫した命の輝きと似ていた。俺はあの目に惹かれた。普段の彼の様子からは想像すらできないあの目。何が彼の中の熱をそうまで激しく掻き立てるのか、そしてその熱は彼の本性に近いものなのであろうと想像すると、好奇心は昂ぶりに転じて俺を解放しなかった。
 「橘さん、私に血飛沫でもついていますか?」
 その一瞬が嘘であるかのように穏やかな目で見られると、俺の想像は妄想でしかないと窘められている気分になる。脅威となっていた敵は殺した。少なくとも数日は戦う理由はない。にもかかわらず俺はまだ獲物を狩る高揚感を手放せておらず、その原因は明らかだ。静かに己の中の何かが滾るのが分かる。それを勘づかれてはならない。この男が人の感情に恐ろしく鈍感であるとはいえ、戦いの場所を占めるような敵意や殺意には敏感だ。
 「ついてないと言えば噓になるけども。どうした」
 「そうですか。いえ、私が汚れるのは覚悟の上ですが、敵の血液が十分でなかったのかと」
 「冗談はほどほどにしてくれよ。いくら俺がブラム=ストーカーだ、つってもドラキュラじゃねぇんだし」
 冗談で言っているのではないだろう。こういう言い方も失礼だが、西園寺はそういう機転が利くような男ではない。真面目さと支援だけが取り柄だという評価も強ち間違いとは言い切れないところがある。それは失礼しました、と謝罪の言葉を最後に俺たちはほとんど無言のまま支部へと戻り、報告を終え、風呂と食事に向かう。なにも西園寺についていきたいわけではない。任務後の行動が同じだけで、しかも西園寺が何も言わないから気まずくもならないというだけだ。疲れを癒して食事をとって、寝る。いつもならそれだけのことなのだが、興奮は西園寺の目を見るたびに、それだけのことで鎌首をもたげる。
 あの目。あれほど本能的な目を他で見るだろうか。あれこそが西園寺の本性で、真面目そうな皮の下にそれがあるならば、それをただ俺の好奇心と興味として暴いてやりたい。あの整った表情が感情で崩れる様を見たい。彼に恨みも嫉妬もないが、あの男はこの瞬間の俺にとって、他の何よりも魅力的だった。
 だから、部屋に連れ込んで組み伏せた。
 「どういう了見ですか。事と次第によってはあなたを傷つけなければならない」
 「いいぜ、やってみろよ西園寺。おまえにできるんならな!」
 敵への攻撃を請け負うような腕でもないくせに、信じられないほどの強い力で押し返してくる。まだあの目じゃない。普段の真面目で温厚で、無表情な西園寺だ。つまらない。あの目が敵ではなく俺こそに向けられたなら、俺はどれほどの高揚感を得られるのだろう。そしてどれほど彼の本性に触れられるのだろう。
 「離して、ください」
 全然だめだ。この程度ではだめだ。彼を追い込まなければならない。気を抜けば、自分を偽ろうとすれば文字通り殺されてしまうという脅迫をしなければならない。彼の本性と本能をむき出しにせざるを得ないような熱を与えなければならない。
 「どういうことですか。私がなにかしたのならば、謝ります」
 違う。そうじゃない。その態度じゃない。そのおまえじゃない。いや、「その」西園寺も同僚として好ましい人間ではあるが、それより魅力的なものが彼の中にあることは分かっている。それを引き出したい。それと向き合いたい。傷つけたいわけではない。
 「西園寺亮輔。知りたいことがある」
 俺がそう聞くと少しだけ抵抗する気が失せたようで、下から押し返される力が緩んだ。
 「……私が語らないなら力ずくで、と」
 「いいや」
 話したいわけではない。話はその後で構わない。言葉ではだめだ。彼の気が緩んだその隙に、普段なら間違っても仲間に撃つことはない鮮血の鎖で彼の両手を一つに束ねた――ベッドがぎしりと音を立てる。
 「橘さん!」
 「うるせぇ」
 見下ろしているとどこか小動物のようだった。別に小柄でもなければ女性的な顔立ちもしていないのに、少し年下の西園寺が自分を強く見せようと偽っているように見えた。その姿にはっとして俺の気持ちにブレーキがかかる。「あなたを傷つけることになる」と俺を脅したものの、実際に傷つけることはできずどうしていいか分からなくなったのであろう、何もできないままに拘束された西園寺を、どうしたらいいか分からない俺がただ見下ろしている。
「西園寺……その、なんだ」
腕をとられ、オーヴァードの男に乗られて身動きがとれない西園寺が逃げるように顔を背けて目を閉じた。
 「おまえさ、いっつもそんな感じだろ?だから」
 「……離してください、橘さん」
 混乱しているのか僅かに声が震えていた。ああこいつ、こんな声も出せるのか。
 「私がいつも同じ調子で、お困りでしたか」
 「そんなことはないが」
 きつく閉じられた目。あの刺すような獰猛な目を求めてこんなことになって、全く望んでいなかった状況でありながら、俺はあの目も見ていないのに不思議な昂ぶりを覚えた。そう、普段と同じように振る舞っているつもりだろうが、西園寺は間違いなく動揺していた。恐らくこれまでになく動揺していた。それでも必死でいつもの彼であろうとする様子がどうしようもなく哀れで、何故か少しだけ愛おしかった。
 「……人を好きになったこと、あるか」
 ないだろうな、と思って聞いてみた。こいつが他人に興味を示しているのを見たことがない。他人に興味を示されようとしていないのも明らかだ。きっと昔からそうなのだろう、でなければ――これほどまでに頑なに、感情を抑え込もうとするだろうか。しばらく待ってみたが西園寺は答えなかった。
 「そうやって色々隠してるつもりだろうけど、戦ってるときの人が変わったようなおまえの目、好きだぜ」
 身体の下で鼓動が跳ねたのを感じた。
 「図星か?」
 「うるさい」
 顔を隠せない西園寺が必死にそっぽを向こうとする。耳の前に垂れる長い髪が顔に落ちたので邪魔だろうとよけてやったら、私に触るなと言って唇を嚙んでいた。
 「顔見せてくれよ」
 「ふざけるな橘」
 「ほう?」
 怒りに満ちた目でこちらを睨みつけたかと思えば、またすぐにいつもの目になって逸らされる。
 「……橘、さん」
 「いいんだぜ、別に。怒れよ。急にこんなことされたら怒って当然だろ」
 「私は怒っていません」
 嘘をつけ。いや怒っているだけじゃないというならば事実に違いない。怯えている。混乱している。それにこうして自由を奪われて見下ろされる悔しさもあるのだろうか、耳が少し赤いようだった。俺がこんな表情をさせているんだな、と思うとつい口元が緩む。
 「そうか。怒ってないんなら好きにさせてもらうぜ。なぁ西園寺……おまえの事情は察するが、あんまり強情張ると損するぞ」
 何か言いたげな顔で睨みつけるものの彼は何も言わなかった。馬鹿にするなという意味か、それぐらいのことは分かっているとでも言いたいのだろう。その視線を受け止め続けながら俺は不思議なほど昂った。不快感や怒り、そういった感情を露にしているその目は、最高だ。血の通った人間らしい反応はそれだ。今はこうして睨みつけるだけの目を見つめ返しているだけだが、俺がこれ以上を求めたときにこの西園寺亮輔という人間がどういう反応を見せるのかもっと知りたい。それを独り占めしたい――俺の興味と欲求は最高潮に達して後戻りなどできなかった。ここで抑えなければその後どうなるか、理性的に考える余裕なんて露ほども残っていない。
 「訂正しよう、西園寺。戦っているときの目もいいが、今のおまえもなかなかだぞ」
 それだけ言い切って、夕方には返り血の付いていた頬を指先でそっとなぞった。



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