今は何時だろう。昨夜勢いに任せて西園寺を抱いて、疲れ果てた彼が離してくれないからシャワーも諦めてそのまま眠ったのだが、妙に体内でレネゲイドがざわめく。普段なら周囲の異変がその原因かと疑うところだろう。だがこれだ、最早オーヴァードの男と抱き合って寝るなんて普通に考えたらこの状況自体がそもそもどうかしている。
 昨夜は何度か果てた。一度で勘弁してやるはずだったのだが、行為に満足して抜こうとしたら続けろと要求され、ついかっとなった俺は煽られるままに続けた。犯されるだけでは亮輔は満足できなかったらしく、余裕のある時に竿の先端を散々いじってやったことは覚えている。そのくせあいつは最後まで気持ちいいとは認めなかった。本当に分からなかったのかもしれないが、何故そこまで頑なに否定するのか俺には知る由もない。
 実は目を覚ましてもうかなり経っている。朝日は昇っているし、西園寺が飛ばした精液が腹の上に残ったままで、気持ち悪いとまでは言わないが接触したままで痒い。起き上がってシャワーを浴びたいところなのだが、なんとこの男の寝相のいいことか、それとも寝返りをうつ体力も残っていないのか。彼の両腕が俺の身体をがっちりと固定している。いくら戦線で殴るタイプではないとはいえこいつもオーヴァードだ。俺が腕を外そうとしたら目を覚ますに違いないと思うと、疲れた西園寺を起こすのは可哀想な気もする。
 自分の身体の疲労はあまり感じない。西園寺が気絶するように意識を失った時、彼の意識が朦朧としているのをいいことにどさくさに紛れて俺の名前を呼ばせてみた、一番疲れていたその時ですら俺の意識はかなりはっきりしていた気がする。UGNの施設で生活するようになってから情事とは全く縁がなかったから比較ができないが、気づかないうちに体力でもついていたのなら万歳だ。そんなことを考えているともぞもぞと隣の身体が動いて、はっきりとではないが彼の目が開いた。
 「橘さん、おはよう」
 疲れからかはっきりとしない口調ではあったが、昨夜のことなどまるで覚えていないかのような「いつもの」西園寺だった。
 「起こしちまったか。おはよう」
 「んー……」
 まだ眠気に勝てないらしい西園寺は小さなあくびを一つすると、瞼が落ちるに任せて目を閉じた。意識は多少覚醒していても身体はまだ休息を求めているのだろう。
 「亮輔、身体は?」
 「ん……?」
 眠いのか。眠いなら仕方がない。このタイミングなら彼の手を解いても罪の意識は生まれない。そっと手を引っ張って除けようとしたとき西園寺は唐突にばっと身体を引っ込め、突然人間に接近された野生の草食獣のように跳ね起き、一糸まとわぬ身体を隠すものを目で探しながら壁にくっつくように俺から逃げた。
 「おいおい」
 なにもそんなに慌てることはねぇだろ、と言おうとも思ったが、確かに彼とっては人生で一番重大で恥ずかしい「事故」に違いなかった。
 「橘さんっ!あの、これは」
 「続けろつったのはおまえだろ亮輔」
 また唇を噛んで必死に視線を逸らしている。こいつはいちいち反応が面白い。
 「昨日のおまえでいいよ。俺はその方が好きだ」
 手を伸ばして頬に触れてやろうとしたらその手を弾き飛ばしてくる。愉しい。昨夜あれほど乱れて、ついさっきまで俺を抱きしめる腕を離さなかったのと同じ人間の態度とは思えなくて、愉しい。そのまま詰め寄って逃げられないように頭を抱きしめてやると彼はまた大人しくなった。やはり西園寺は手負いの獣だ。警戒心や自尊心と甘えたい気持ちとが交錯して、外的要因に影響されていちいち態度が変わる。
 「亮輔、いい子だから。な」
 「うるさい」
 口では反抗的なくせに抵抗せずに大人しくしている。観念したのかツンデレなのかは知らないが、どうせなら獣のように手懐けられてくれれば楽だというのに。
 しばらくされるがまま猫のように撫でられていた亮輔が一度ちらりとこちらを見、また目をそらして、ぎりぎり聞き取れるぐらいの小さな声で俺を呼んだ。
 「……外では名前で呼ばないでくれ」
 「それはまたどういうわけで」
 「その、思い出すから……」
 俯いたままぐぐっと押し返される。思い出すというのは乱れた自分をということなのか、それともあの感覚をということなのか、全部なのかもしれない。外ではというのなら西園寺は俺を嫌っているわけではないのだろうし、ひょっとすると次を期待しているのかもしれない。それこそ普段の「西園寺」のように彼が必要に応じてしゃべってくれれば俺も楽なのに、追い詰められた獣の「亮輔」は言葉が少なすぎる。納得と理解のできないままその提案を飲むのはいささか、いや大変不服ではあったが、ここまで縮こまっているのを見ているとそれはそれで可哀想だと思う。
 「ふーむ。亮輔って呼ぶ方が呼びやすいんだが、おまえがそう言うのなら考えよう」
 ただ無条件でとは問屋が卸さない。亮輔が顔を背けるせいで赤くなった耳が丸見えだったので、その耳にわざと息を吹きかけてから至近距離で囁いてみる。
 「おまえもお楽しみだったんだから、なんか言うこと、あるだろ」
 頑張って無反応を装っている。見れば分かる。我慢しないで抗議するなり恥ずかしがるなりすればいいのに、いつも西園寺が同じ調子なのはああやって自分の内側だけで時間と整理を進めているからなのだ。そのまま硬直してしばらく動きそうもなかったので、俺は彼の肩をぽんと叩いて浴室に向かった。シャワーを浴びている間に西園寺が一人でこの部屋を出ることはないだろう。服、隠してあるし。
 自分が脱ぐ服もなかったのでドアを開けるとそのまま浴室の鏡が正面にある。所々内出血やひっかき傷があった。暴れる亮輔に抵抗されたりしがみつかれたりしているうちにできたものだろう、俺はそれをしばらく残しておきたいとすら思った――しかしどうしたことだ、この脚は、そしてこの顔は。鏡に映る虚像は本当に「今の」俺自身を映したものなのか。まるで獣のような粗野な光でぎらつく目と、地面を蹴るのにより特化した形の脚。脚には確かに見覚えがあった。
 この脚は、戦う時に自分の身体をより獣らしく変形させたときのもの。見覚えはないが、きっとこの目もそうなのだろう。この姿をとろうと意図的にレネゲイドを活性化させたわけでもないのに、俺のレネゲイドウイルスが妙に騒がしい理由、それに一つだけ心当たりがある。
 「違う」
 自分に言い聞かせた。昨日の興奮が収まっていないだけだ。シャワーで汚れを洗い流して、身体を温めて、もう一度休めば普段の俺に戻るに違いない。一通り身体を洗って、バスタブに湯をためておく。大浴場でだけかもしれないが亮輔はいつも長風呂だから、きっと湯船に浸かりたがるだろう。
 俺が動揺してはいけない。昨日のことで一番動揺しているのは亮輔だろう。それを揶揄し足りない気持ちもあるが、それより俺には行かなければならないところができたらしい。
 「亮輔」
 身体を拭いて浴室を出ると、妙に体積のある布団の山がベッドの隅にできていた。流石に寒いのもあるだろうが、少し目を離した隙にそんな着ぐるみみたいにならないでほしい。
 「おい、お湯入れといたから、おまえも入れよ」
 めくって声をかけてやると亮輔は意外にも無抵抗に布団から出てきた。幾分落ち着いた様子で、普段と変わらない声でありがとうと返事があった。
 「悪いが少し出てくる」
 努めて平常心を保つ。そう、ちょっと検査に行くだけの話。
 「起きたばかりなのにか」
 「急ぎの用でな。鍵渡すから風呂入ったらおまえの部屋に戻ってていいぞ。俺も戻れたら鍵、取りに行くんで」
 ベッドの下の引き出しの奥の方から亮輔の服を引っ張り出す。そんなところに、と言いたげな顔で睨みつけられた。綺麗に畳んでおいたのだから文句を言われる筋合いはない。自分も適当な服装に着替えていると亮輔がじっとこちらを見ていることに気付いた。俺の異変に気付いているのだろう。戦闘時には見慣れた姿だろうが、目は誤魔化せても脚の変形だけは誤魔化しようがない。着替え終えて部屋のドアに手をかけたとき背後から不安そうな声で亮輔が俺を呼ぶのが聞こえた。
 「どうした」
 「橘、おまえ……」
 脚が獣のままだぞとでも言おうとしたのだろう。彼の視線が俺の足元と顔を交互に見ていたからきっとそうだ。そのまま外に出て万が一誰かに見られたら問題だと。俺もそう思う、そう思うが――俺の意思でこの脚は戻らないのだ。
 「気にするな。それより亮輔」
 ほとんど部屋の外に出ようとしていたが俺はなにか後ろ髪をひかれる思いで踵を返し、相変わらず部屋の隅で縮こまっている亮輔に近づいた。
 「頼みたいことがあるんだ」
 彼は特に警戒することなく頷いたので、その耳に口元を近づけて一言、二言囁く。
 「嫌か?」
 「嫌、とは言わないが」
 じゃあいいや、と答えて頭をぽんぽんと撫でてやった。下から睨みつけているつもりだろうがこの角度ではどう考えても上目遣いで、またこの素直じゃない男を手懐けてやりたいと衝動が沸き上がる。それをぐっと堪えて今度こそは外に出ようと強く心に決める。
 靴を履くことができない裸足のままの俺の背中を亮輔はずっと見つめていた。その視線を感じた。何故それほど俺を目で追うのか察することができなかったが、今の俺にはそこまで気をまわしている余裕がなかったのだ。俺自身どうしてこんなにこの部屋と亮輔が恋しいのか分からなかった。戦いに赴くのに何度も経験したはずの覚悟の時間。それが何故か今日はとても悲しい。俺はこの躊躇を振り切っていかなければならない。
 「そんじゃ」
 俺は何かを断ち切るかのようにドアに手をかけた。
 「待て」
 「ん?」
 まさかこの声がまたそれを遮るなんて。亮輔が布団をそこに捨て置いて、すぐ傍で俺の腕をとる。
 「気をつけて行けよ、その……」
 亮輔は気を付けていないと聞き取るのが困難なほどの声で、そっと、囁いてくれた。 
 「……ああ、ありがとな」
 俺を止める手を取って口づけると大人しく一歩下がってくれた。このまま彼と過ごすことがどれほど魅力的かはお互いが一番よく分かっているのに、俺が思っている以上に深刻な表情をしているせいで、止めてはいけないと亮輔に思わせてしまったのだろう。彼にとっては全く理由の分からない外出に違いない。そのまま、彼に分からないまま、全て終わらせてこの部屋に戻ってくることが俺の希望だ。
 恋人でもないのに急に湧き上がってくる慕情、それを理解しないように俺は努力する。廊下に出て振り返り、彼に聞こえるか聞こえないかの声で「おまえが好きだ」と呟き扉を閉めた。




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