「四条巽だ。よろしく」
 バディだと紹介されたこの男から初めて聞いた言葉は、冷たさはないものの無機質で、冗談の通じない性質の、正義と任務に忠実な内側を彷彿とさせた。風評によれば、四条巽は、数年に渡ってキャリアと功績を積んでおり、昇進も遠くないと評価される男であるらしかった。大方、今の地位での最後の仕事として、後継者育成にあたることになったのだろう。でなければ、十歳ほども年上のこの男が、俺とバディを組む話になどなるわけがなかった。
 「四条先輩。よろしくお願いします」
 「……『先輩』はやめてくれ」
 苦々しげな表情も、真正直そうに思えた。都合はよかった。バディの相手と過ごす時間は相当な長さになる。口下手で、お世辞にも要領がいいとは言えない俺にとっては、あまり距離が近すぎず、かといってよそよそしくもない、仕事熱心な男が相方であることは喜ばしいことだった。
 任務の話や、他愛のない話、普段の言動のひとつひとつから、四条というキャリア警官はエリートなのではないかと察せられた。どういった経緯や目的でこの仕事をしているのかは聞き出せなかったが、何らかの強い熱意と共に現場に立ち、実績と信頼を得てきたのだろう。四条は指揮や指導、調査、書類仕事に至るまでそつなくこなす、非の打ち所のない仕事人であった。
 少なくとも、出会った頃の四条巽は"完璧"だった。
 柔らかな髪が少し低い位置でふわふわと動くのを見ていると、小型の犬種と錯覚しそうになるが、当時の四条は狼だった。群れの中で自分の立場を保ちつつ、時に一人果敢に立ち向かっていく狼だった。そう本人にも伝えてみると、四条は、「そんなカッコいい話じゃねぇ」と中途半端に笑っていた。
 それから一年ほど経った頃のことだったろうか。原因は不運とエラーやミスの連続。凶悪な殺人犯を追い詰めるのに、俺と四条は仲間の援護を得られない状況に追い詰められてしまった。その上、更に悪いことに、犯人が所持している弾数の見積もりが、甘かった。
 「下がれ、****!」
 どんな攻撃でも防ぎきる四条の力を既に二度――本来は一度きりの切り札を、俺が一度呼び戻して、二度だ――見終えて、もう守る算段のないはずの四条が、最悪の場合に射殺を認められていた犯人に照準を合わせていた俺の前、つまり二つの銃口の前に、ほぼ生身のままの軽装備で飛び出した。
 引き金が戻ることはない。
 射線の交差する位置に、四条が割り込む。よりによって、俺の放ったとどめの銃弾が、四条の背の真ん中へ奔る。あってはならないことだ、視界がぼやけて、俺は何が起きたのか見届けることを無意識に拒否した。
 瞬きひとつで、元の世界が鮮やかに戻る。
 目の前には四条が立っていた。いや、四条だったと思しき影があった。もうひとつ瞬きをした。四条の手には犯人の腕、床には犯人が使っていたライフル。俺がはっきりと現実を受け止めたのは、犯人の腕と四条の腕が手錠で繋がれる、聞き慣れた金属音の後だった。
 「撃つな」
 変わり果てた四条の顔がこちらを向いた。笑っているようにも見えたが、その顔は、腕は、身体は、あまりにも、姿を違えていた――
 それが、"完璧"な四条巽の、最後の背中だった。

 部屋に戻り、では四条を待って報告書を書こうと、起きたことを時間順に思い出しながらぼうっと天井を見上げる。「射殺」ではなく「逮捕」で終わった犯人の、後の裁きは俺達の仕事ではない。長い一日が終わった、と溜め息をついたところで、慌ただしくドアが開き、四条が転がり込むように入ってきた。
 「****!」
 ぼろぼろと泣いていた。別人か、多重人格を疑うほどの異常であった。もしかすると、真面目な顔と無表情と、軽い感情の発露しか見たことのないのは俺だけで、それまで四条が俺に合わせていただけなのかもしれなかった。そう感じるほどには、何も憚らない、大粒の涙を止めどなく溢れさせていた。
 「すまない、本当にすまない、俺のせいで」
 椅子に腰かけた俺の隣に跪くようにして、子供のようにしゃくりあげていた。慌てて立ち上がり隣に膝をついて床に座る。
 「おまえを死なせるところだった」
 「いや、撃ったのは俺」
 「そうじゃない……そんなこと……ひぐっ……」
 バディとして、犯人をやむにやまれず射殺する状況を作ってしまったこと、そして俺を危険に晒したことを謝っているらしい。俺が時々死を意識する現場にあっても、眉ひとつ動かさず作戦を遂行する四条が、俺のことで取り乱している。どうしてよいか分からず肩に触れようとしたところ逃げられた。
 「四条」
 呼び掛けても四条は首を緩やかに横に振る。
 「もう、ひとつ、謝ることが」
 泣きながら、震える声のまま、野性動物のように跳び下がられて開いた距離は縮まらない。先程の、変わり果てた姿のことだろうか。隠されていたつもりはないが、確かにあの瞬間、驚きで凍りついてしまった俺は、きっとひどい顔をしていたに違いなかった。
 「どうでもいい」
 一歩、近づいてみた。
 一歩、逃げられた。
 「……気を遣わなくていい!」
 「本当だ」
 もう一歩、近づいてみた。
 また一歩、逃げられた。
 「四条。誰にも言わない。おまえのあの姿を見たのは俺と犯人だけだ。俺がしらばっくれれば、なかったことになる。そうだろう」
 「……そっ」
 「驚きはしたが」
 最後に一歩近づくと、狼だったはずの四条が床を涙で濡らしながら、しかし逃げずに、喉からぐるぐると不思議な唸り声をあげていた。
 「ミュータントだったのか」
 隣に腰を下ろす。四条が蹲ったままこくりと頷く。
 「ありがとう。おかげで助かった」
 「助けてない」
 「俺に人を殺させなかった」
 子供か小動物のようだ。真っ赤になった、涙で滲んでなにも見えていない目を逸らして黙っている。四条がこんな男であるとは知らなかった俺は、困るというよりも心配で、さっきは俺を拒んだ、四条の震える肩へもう一度手を置いてみることしかできなかった。今度は逃げられなかった。四条は一、二分ほど、そのまま泣き続けた後でやっと、掠れた声で徐に話しはじめたのだった。
 「……報告書」
 「ああ」
 「書いたら、上へかけあってみるから」
 「何を」
 「おまえのバディ、俺の代わりに、誰か」
 「俺の話聞いてたか?」
 「聞いてた。命を預けるバディが、ミュータントでは、気苦労をかける」
 「聞いてないな。落ち着いてくれ」
 これまで弱さを全く見せなかった四条巽が、まるで無防備に俺に泣き顔を晒していた。全くこの男らしくなかった。これまで先輩面をされたことも、年上風を吹かされたこともなかったが、それでも経験から来る自信か、真っ直ぐな強さを滲ませた仕事人、というのが、四条に抱いていた印象だったのだ。
 覆されて凹まれて、失望が全くなかったと言えば嘘になる。この時間を忘れることはないだろう。バディを解消するという四条をそれでも引き留めようとしたのは、失望以上に、この男への信頼が増していたからなのかもしれない。
 「……四条」
 びくん、と震えたあと、泣き疲れて小動物と化した哀れな男がこちらを向いた。
 「仕事が終わったら、俺の家に来ないか。ミュータントの身体を見せてほしい」
 それから先は出来心だった。後々どうなるかなど考えもしなかった俺は、友人を遊びに誘うような軽い気持ちで差し伸ばした手が遠慮がちにでも取られるのを、本当に、ただ純粋に喜んでいた。
 


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