「好き」
 この一言を伝えるだけのことなのに、どれだけ臆病なのか。****の目を見られない。顔を隠さずにいられない。幾度か身体を繋げてやっと、****は惜しみ無い愛を自分に注いでくれるのだと理解した。これまで抑えていた衝動と欲求を受け止めてくれることを、それをむしろ喜んでくれることを、ヒトでない俺にも欲情してくれることを知ったのだから、俺もその優しさに誠実であろうと心に決めた。
 ****の肌は熱い。これまで出会った誰よりも。この頼もしい温もりに全て託しておけばきっと幸せでいられるのだろうと思えるから、肩にそっと頬擦りをした。
 「ん。どうしました、先輩」
 こうして甘えると****は撫でてくれる。間違いなく気恥ずかしいし、年下の彼に甘やかされるのはかなりダメな気もするが、****の大きな手で触れられると幸せで蕩けてしまいそうになるのだ。見上げれば優しい笑みがこちらを向いている。俺に向けられるには勿体ない表情なのだけれど、今それを独占できるのは恋人の俺だけで、どきりとするくらい美しいので伸び上がってキスをした。
 「……すまない。我慢できなくて」
 膝の上に乗り上げて正面からキスを繰り返す。こんな関係になってからは何かを誤魔化すための煙草が必要なくなって、****がほしくなったときは自分から求めるようになった。されるがまま、****の望むように愛されることが何よりも俺を満たしてくれる。
 「****……」
 息継ぎと同時に唇を離し、目を開けて表情を伺う。酸欠のせいか少し潤んだ目と緩んだ口元――俺がこうしたのだ。不意に突沸した衝動のままに****をソファーに押し倒した。
 「せ、先輩?」
 押し倒してからはっとなった。いつもは逆で、****が俺を見下ろしてくれるから。
 「……その」
 自分だけ完全にその気になってしまった。こんな興奮は久し振りだ。冷静になろうとしたところで既に勃つものは勃っていて、末端まで血が駆ける感覚が気になってしかたがない。抱きたい、いや、いつも通りでもいい。****に抱かれるのはきもちよくて、熱くて、思い出すだけで腰が震えてたまらないくらい好きだ。だからこのまま自分から****の腰に乗り上げ、奥深くまで彼のモノを迎え入れるというのも魅力的ではあったのだけれど。いつもと違う状況に困惑しているのか、それとも恥ずかしがっているのか、行き場のなくなった視線をやや伏せている恋人を可愛いと思ってしまった。
 「ごめん」
 そのまま勢いで抱え上げる。いつか****が自分にしてくれたのと同じように、但し俺は彼ほど背が高くないので安定感はなかったかもしれないが、そっと、本当にゆっくりと****をベッドに下ろし馬乗りになる。
 「……抱かせてくれ」
 ****の耳が赤く染まった。
 「今日だけで、いいから」
 抱きたいと言ったことはこれまで一度もなかった。だから断られても仕方がないとも思っていた。普段抱いている俺に抱かれたいと言われて嫌悪感のひとつくらい浮かんでも当然だろう。
 「いやです」
 だから、そう言われたとき迷わず手を引っ込めた。ところが聞き分けよく離したはずのその手を、何故か****の熱い手が掴んで止めていた。
 「嫌です。今日だけなんて」
 続く言葉を聞いて口の中が乾ききり、固まってしまった俺は****に手を引かれて前のめりに倒れた。それはもちろん****の身体の上に、だから、体温と、息遣いと、視線は逸らされたままの綺麗な目があまりにもすぐ傍にある。
 「……今日だけなんて、そんなこと。言わないでください」
 「っ、ばか」
 至近距離で囁かれてもう耐えられなかった。誰がこの誘惑に耐えられるというのだろう。いつもは頼りがいのある腕で俺を押さえつける****が、 俺の我儘と情欲までもを受け止めて、こんなに愛らしい、無防備で、隙だらけで、年齢相応の幼さが滲む赤面で、躊躇が残っていた俺を待ってくれている。
 「ん」
 逃げられないように頭を抱き締めると唇を奪って、二度、三度、いつもと違うキスを。愛していいのか、この執着を愛とみなしていいのか分からなかったあの日とは別物の、****には初めて与える甘く痺れる細かな刺激を、今はまだヒトのものの形をした舌先で。
 ――先輩は、俺のこと好きじゃないんですか?
 頑なに愛の言葉を伝えなかった俺を見かねて、少し拗ねた顔で****に問われたとき、答えに窮した。好きとは言えなかった。大切な人だから。おまえがいなきゃだめだ。代わりにそんな言葉で気持ちを伝えていたつもりだった。
 だって、こんな得体のしれない感情を、自分でもどうかしていると思うほどの泥のような執着を、好きだとか愛しているだとか、綺麗な言葉にするのはおかしいじゃないか。
 舌を絡めながらそんな記憶を呼び起こす。俺の心があれから変わったわけではないけれど、それも愛だと俺は思います、と答えて受け入れようとしてくれた****の、少し寂しそうな顔が忘れられない。
 「……っは……先輩?」
 無意識に唇を離していた。おあずけを食らった犬のようにこちらを見つめる、なんだか不安げな瞳があまりにも愛しくて。あの時の表情と少し重なって見えたので、そのままキスを続けようとする本能と獲物を噛みつこうとする牙をほんの少しだけ抑えて、口から滑り出ようとする迂闊な言葉を、今度は止めずにそのまま浴びせかける。
 「好きだよ、****」
 


 
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